おたのちい日々Mk.Ⅱ

日々のたわごと

2018年2月19日

 昨日おとといはパラダイスでした

 弓道部の仲良し一行で箱根旅行でそこから図書委員の面子と司書さんをお呼びして飲み会。社会人の友人に月曜の飲み会に誘うのは心苦しかったが、許してくれい

 どっちの集いも数少ない自分がホッとできる空間でこういつまでも大切にしていきたいなぁなんてそんなおセンチなことを考えてしまう

 この時期になると否が応でも進路という話題がトレンド入りしてしまうわけで友人たちがそれぞれ覚悟キメて将来のことを語らっているのを聞くのはあっちをふらふらこっちをぶらぶらしてしまう自分にとっては若干首をキュッとされている心地がしなくもない。でも興味深いなと思うのも確かな訳で、楽しく聞かせてもらった

 僕の周りがそうなだけという話かもしれないが、彼らの話を聞いていると「~したくてここで働く!」っていうよりは「趣味やら生きていく為の資金源のため働く」ことを考えている人が多めな気がする。アルバイトの延長線上なのだろう。「ために働く」のか「働きたくて働く」のか。どっちが自分にあるのか考えねば

 

 

 富士山はすごい

 箱根旅行で富士山を望める露天風呂と謳う旅館に泊まった

 風呂にはメガネをかけないので大して見えないだろうと高をくくっていたが愚かだった。日本一位は伊達じゃない。確かにそれはあった。近眼だろうと構わない、それでも目に焼き付けておけよと言わんばかりに目の前に立っていた

 近眼というとまああまりメリットを感じられないのだろうがたまに目悪くて良かったなと思うときがある。このときがそれだった。近眼ゆえの輪郭の不確かさが富士を一個の山というよりも一つの高位の存在としてこちらに訴えかけていた。あのぼやけた具合がかえって富士の霊気をこちらに見せてくれている気さえするのだ。これは眼鏡をかけるものにしか分からない快楽であろう

 富士を堪能してからなにげなく周りにも目をやるとこう、裏方がいることに気が付く。それは岩だったり、木の枝だったり、澄み渡った空であったり。それらすべてが味わい深い良いものだ。それなくしてこの富士の霊気を感じることは出来まい。視力は致し方ないが、これからも彼らに気が付けるような眼だけは失いたくないとそう思った